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79920円
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幅47.5㎝ 高さ34㎝ 奥行38.5㎝ 重量約1800g
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大仏殿
盧舎那(毘盧遮那)仏
八角燈籠
盧舎那大仏と大仏殿
正倉院に伝わる聖武天皇の遺愛の品々は、天平時代の華やかさを思わせる。だが天皇治世中の政治・社会情勢は決して穏やかなものではなかった。
長屋王の変に象徴される権力闘争、光明皇后の兄弟たちを死に追いやった天然痘の流行、九州での藤原広嗣の反乱と、10年以上にわたる激変が続いた。
聖武天皇はこうした世の中を癒し、国家の安泰と民衆の幸福をはかるには仏教思想による以外にないと、仏教への傾斜を強められたのであろう。
藤原広嗣が反乱を起こした天平12年(740)以降、天皇は平城京を離れて幾度か都を遷されたが、その間の天平13年(741)、恭仁京(くにきょう)において国分寺・国分尼寺建立の詔を出し、天平15年(743)には紫香楽(しがらき)宮で盧舎那大仏造顕の詔を出された。
国分寺の場合は『金光明(きんこうみょう)最勝王経』と『法華経』を、大仏発願は『華厳経』を拠としている。
国分寺の正式名「金光明四天王護国之寺」に見られるように、一国を単位として国と民衆の安寧を祈るという趣旨が、2年後の大仏造顕の場合はその範囲をはるかに超えて、「動植咸くに栄えむ」と華厳の円融無礙(えんゆうむげ)の世界を望まれ、大仏造立のために「一枝の草、一把の土を持て像を助け造らん」と願う人々の協力を求められた。
こうして天平12年に河内の知識寺(ちしきでら)に行幸して盧舎那仏を拝されて以来、天皇は華厳の教えに対する理解を深めておられたが、天平感宝元年(749)には正式に『華厳経』をもって根本とする旨を表明されたのである。
さて、天平17年(745)の平城還都以来、東大寺前身の金鍾山寺(きんしょうさんじ)の寺域で再開された盧舎那大仏の造立は、金光明寺造仏所、のちの造東大寺司によって工事が進められ、3カ年8度の鋳継ぎにより天平勝宝元年(749)10月に仏身が鋳造、翌々年には大仏殿も造営され、同4年(752)4月には盛大な開眼供養会(かいげんくようえ)が執り行なわれた。
この大事業は、勧進に当たって民衆の力を結集した行基菩薩や初代の東大寺別当良弁僧正など、多くの人々の協力があって実現したが、そのことを象徴して、東大寺は聖武天皇・行基菩薩・良弁僧正と、開眼の導師を勤めた婆羅門僧正菩提僊那(ばらもんそうじょうぼだいせんな)の4人による「四聖建立の寺」とも称される。
平安時代になると、早くも大仏さまの背部に損傷が見られたり、傾斜を止めるために背後に盛り土をするなど補修工事がなされたが、斉衡2年(855)、大地震により頭部が落ち、修復がなされた。
一方、大仏殿をはじめ諸伽藍も、天災や失火などにより修復を迫られることが多かった。
こうした事業や寺院本来の教学活動のための財源を得るため、この時代には荘園が営まれていたが、平安時代末期になると、東大寺はその荘園をめぐって様々な紛争に巻き込まれ、ついに治承4年(1180)、平重衡(たいらのしげひら)の兵火によって伽藍の大半が灰燼に帰した。
東大寺の復興造営に大きな功績を残したのは重源上人であった。
上人は養和元年(1181)、61歳で勧進職に任じられて以来、後白河法皇や源頼朝の援助を受けながら20数年間の後半生を復興事業に捧げた。
まず宋の鋳物師陳和卿(ちんなけい)の協力を得て、頭部や左手など大仏さまを補鋳、文治元年(1185)に開眼供養を行なった。続いて大仏殿再建のための用材確保に苦慮したが、周防国(すおうのくに)と備前国が東大寺造営料所に当てられてからは造営が急速に進み、建久6年(1195)に落慶供養会が営まれた。
さらに翌年には大仏殿の両脇侍と四天王が僅か半年で造られたという。
以後、境内の諸伽藍が次々と再建され、鎌倉時代の盛時を生み出した。
室町時代に入ると、東大寺はもはや昔日の勢いはなくなっていたが、それに拍車をかけたのは永禄10年(1567)の三好・松永の兵火であった。
大仏殿、戒壇堂、浄土堂、唐禅院、四聖坊などが焼失した。大仏さまは山田道安によって補修され、仮屋も建てられたが、やがて仮屋は大風で倒れ、100年近く風雨にさらされた。
その痛ましい姿を見て大仏殿再建の志を抱いたのが公慶上人で、貞享元年(1684)、江戸幕府に大仏殿修造を願って許され、同3年から大仏鋳造に着手、仏頭と蓮弁18枚を補鋳、元禄5年(1692)に開眼供養が行なわれた。
また同時に大仏殿の再建も進められたが、天平・鎌倉期の規模を踏襲することは当時の経済事情が許さず、現在見られるような東西を約6割に縮小した形で再建され、宝永6年(1709)に落慶供養が盛大に行なわれた。
しかし中門や廻廊が完工するにはさらに30年を要した。
この世界最大級の木造建造物はその後焼けることなく明治時代を迎えたが、傷みが激しく、軒は副柱でかろうじて支えられるという状態で、明治39年(1906)から解体修理に着手、内部に鉄骨を用いて補強するなど新しい工法を併用して明治45年(1912)に完成した。
しかし、屋根工事に問題があったらしく、時折殿内に雨水が見られるようになったことから、昭和48年(1973)から7年の歳月をかけて大修理が行なわれ、同55年(1980)秋、落慶法要が盛大に営まれた。
美しい未使用品ではありますが、長期保管品ですので、経年による汚れや擦れが在るかもしれません。
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